「ウィキペディア植草一秀」に含まれる重大虚偽情報
以前より放置したままにしてあったが、ウィキペディアに記載されている情報には無数の誤りが含まれている。裁判の情報など、重要部分に悪意のある虚偽情報が散りばめられており、虚偽を掲載された人物に不利益を与えるものになっている。
全体的に虚偽の情報が多く、そのすべてを書き出すことは先送りするが、裁判情報などの重要事実については、本ブログで虚偽を指摘し、正確な情報を記載しておくこととする。
ここで取り上げるのは、ウィキペディア「植草一秀」の記載である。
本題から外れるが、記述の冒頭に、
「経済学者としてはケインジアンであり、好きな経済学者として挙げるのもジョン・メイナード・ケインズである。」
とあるが、ここから正しくない。
2000年11月発行の『経済を見る目はこうして磨く』(日経ビジネス人文庫)に、「好きな経済学者」を記述した部分がある。ここに、
ジョン・M・ケインズ、ミルトン・フリードマン
と記述している。
私の経済学研究はマネタリズムから出発している。ミルトン・フリードマン流の市場原理重視の経済学とケインズ流の裁量政策の重要性重視の経済学の双方に、尊重すべき主張が含まれているというのが、私の基本的立場である。
私のことをケインジアンと分類するのは、私の政策主張を攻撃しようとする勢力が、意図的に行ったものであり、事実に反している。
ウィキペディアの記述中、「迷惑防止条例違反(二)」についても、多くの虚偽情報が散りばめられている。
2006年12月20日の審理は横浜地裁において非公開で行われた。このため、被害者供述の内容が一般に十分知られずに裁判が進められることになった。
2007年10月5日に、科捜研の女性研究員が証人として出廷して証言した。女性研究員の証言内容は、私の手指付着物の繊維鑑定を行ったところ、被害者女性着用のスカートの構成繊維と「類似」した繊維片が4本確認された(「4本の青色獣毛繊維」)というものであった。他方、被害者着用の下着の構成繊維と類似する繊維片は発見されなかったことが明らかにされた。
これ以外に、私の手指付着物からは無色綿繊維片が確認されたが、無色綿繊維片は空中に無数に浮遊しているものであり、その繊維片の由来を特定できないことも明らかにされたのである。下着の構成繊維のなかにも無色綿繊維が存在するが、無色綿繊維については空気中に無数に存在するため、その由来は特定できないことが科捜研作成の調書でも強調されている。
手指付着物の鑑定については、捜査段階で曲折があった。捜査段階で、警察当局から弁護人に対して、手指付着物鑑定から犯罪を立証する証拠が発見されなかったことが伝達されていた。
この結果、警察当局は、勾留期限の末期近くになって、慌ただしく私が着用していたネクタイの鑑定を行い、このネクタイからも付着物を確認できなかったため、着用していた背広上着の鑑定を行った。結局、背広上着からも構成繊維片を発見できなかった。
つまり、警察・検察当局は最後に至るまで、犯罪を立証する繊維片を確認できなかったのである。この点については、繊維鑑定の専門家を新たに弁護団に組み込んだ控訴審および上告審で、控訴趣意書、上告趣意書に強調して記載された。
事件当日、私が駅で駅員ともみ合った経緯があった。その際、駅員が紺色制服を着用していたため、駅員着用の制服構成生地を入手し、この生地構成繊維の鑑定を専門家である大学教授に委嘱し、手指付着物との比較を行ってもらった。
その結果、手指付着物から確認された4本の「青色獣毛繊維」は駅員が着用していた制服構成生地の構成繊維と「極めて類似」しているとの鑑定結果を得た。裁判ではこの鑑定結果を証拠として申請したが採用されず、鑑定を行った大学教授を証人申請したが却下された。
つまり、繊維鑑定では犯罪を立証する繊維片がまったく発見されなかったというのが正しい事実である。手指付着物から確認された「青色獣毛繊維片4本」は、駅員着用の制服に由来するものであると考えられる。
また、ウィキペディアには、
「その後の公判で植草の無実を証言する証人も現れた(ただしこの証人は植草が車内で取り押さえられたのは目撃したが、それ以前は寝ていたため、事件の決定的瞬間を目撃したわけではない)」
と記述されているが、これも、まったく事実に反する記述である。
弁護側証人は、事件の内容についてまったく知らされずに法廷に立った。そのうえで、自分が見聞きしたことをそのまま、脚色なしに、ありのままに述べた。その結果、青物横丁あたりから大森海岸駅近辺までうとうとしたことも事実に即して述べたのである。
その内容は、品川駅で電車に乗った時に、テレビで見たことのある私の存在に気付き、その後、電車が発車して青物横丁あたりを通過する時点まで私の様子を注意して見続けたが、私が酒に酔った様子で吊革につかまりながら、何もせずにうなだれていた様子を目撃し、その模様を詳細に証言した。
その後、この証人はうとうととしたが、大森海岸駅近辺で、まわりの騒がしい状況で覚醒し、私が誰かに押さえつけられている様子を目撃し、この模様も事実に即して証言した。蒲田駅で被害者が電車を降りたが、被害者と見られる女性の服装についての記述も、事実に正確に即しているものだった。この証人が真実をありのままに証言したことは明白である。
犯罪があったとされる時間帯は、電車が品川駅を発車した直後から青物横丁を過ぎたあたりまでであり、この証人はまさに犯罪があったとされる重要な時間帯に、私が犯罪に関わることなくぐったりと吊革につかまっていた状況を目撃し、その様子を正確に証言したことになる。
「肝心な場面を目撃していなかった」というのは、翌日の報道が裁判官による質問を捻じ曲げて、意図的に報道したことによっている。マスゴミが不正な公判報道を行ったことが確認されている。
逮捕者などの供述によると、私を抑えつけた二人目の人物が移動して私を押さえつけたのが、大森海岸駅あたりであったということであるので、弁護側目撃者は、この二人目の人物が私を押さえつけたときに覚醒して状況を確認したものと考えられる。
弁護側証人の証言が事実とほぼ完全に一致しているのに対して、検察側証人の証言は矛盾だらけであった。とりわけ、検察側証人は公判で、再三、2006年9月16日に初めて蒲田警察署に出頭したことを証言したが、実際にはそれ以前に警察に出頭していたことがのちに明らかになった。9月15日にこの証人が参加して作成された実況見分調書が、のちに開示された検察官開示記録のなかに含まれており、この決定的矛盾が明らかになったのである。
この問題については、『財界さっぽろ』2010年12月号増刊「権力との闘い!ムネオの主張」所収の拙稿「鈴木宗男氏上告棄却の背後にある日本の前近代性」に記述しているので、ぜひご高覧賜りたい。
また、「条例違反事件(一)」について、ウィキペディアもごく簡単に触れているが、私は、一貫して品川駅エスカレーターの防犯カメラ映像の記録を確認することを求め続けた。このエスカレーターには上下4箇所に防犯カメラ映像が備えられており、エスカレーター上の私の行動は、間違いなくこの防犯カメラに映し出されていたはずである。
私は、捜査段階で一貫してこの防犯カメラ映像の確認を求め続けた。ところが、警察・検察当局はこの決定的な証拠である防犯カメラ映像を廃棄してしまったのである。犯罪が存在したなら、警察はこの映像を証拠として提出したはずである。防犯カメラ映像の廃棄こそ、私の無罪を明白に証明するものである。
また、朝日放送との民事訴訟では、朝日放送が1分間の謝罪放送を2度実施したが、これ以外に和解金が支払われているが、和解金の金額については公表しないこととされた。
ここでは、ウィキペディアの記述のなかから、事実について明らかな虚偽が記載されている部分について、その一部をとりあげて事実を記載した。ウィキペディアにはこの種の虚偽情報が多数含まれているため、ネットユーザーはその点についての認識を強めることが必要である。
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