本ブログがココログよりアクセス禁止措置を受けたことにつきましては、多くの皆様に大変ご心配をおかけしております。多くの皆様からありがたいメッセージをいただきました。身に余るご厚情を賜りまして心よりお礼申し上げます。
「神州の泉」主宰者の高橋博彦様が新たに記事を掲載くださいました。心よりお礼申し上げます。
この問題について、弁護士の鬼頭栄美子先生より専門的な立場からの考察論文をいただきましたので、2回にわたり本ブログに掲載させていただきます。ご高覧賜りますようお願いいたします。以下に第1回論説の全文を掲載させていただきます。
なお、文章のフォーマットをご寄稿いただいた通りに表示できなかったため、フォーマットを修正した記事を再掲させていただきましたので、ご了解賜りたく思います。
<植草氏ブログ「知られざる真実」、アクセス禁止措置についての考察(その1)> 弁護士 鬼頭栄美子
植草氏のブログ「知られざる真実」(Nifty、ココログ)が、「アクセス禁止措置」を受けた事は記憶に新しい。「「逃げ回る」醜態を晒す麻生首相」(2008年10月23日付)と題する評論での新聞記事利用につき、毎日新聞社がクレームをつけた(「ブログ復旧のお知らせ」同月31日付)。
植草氏は当該記事を削除し、ブログを復旧。ご本人は謝罪してこの件を終わらせたが、釈然としないので、私見を述べる。
毎日新聞社の著作権についての意見、また依拠する日本新聞協会の見解(1978年5月付第351回編集委員会と、1997年11月6日付第564回編集委員会)は、読んだ。
しかし、これはそもそも、対立当事者が述べた一意見に過ぎない。
主権者国民の代表機関たる国会が制定した法律条文であってさえ、後に裁判所によって違憲と判断されるケースは時々ある。
また、この一意見を述べているのは、「第四の権力」と称される「強大な力を持ったマスコミ」である事を忘れてはならない。
一方当事者の意見を、金科玉条の如き「守るべきルール」と考えてしまっては、多くの政治ブロガーに、報道情報の「公正な利用(フェア・ユース)」についてまで、萎縮効果をもたらす虞がある。思わず投稿したくなった所以である。
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そもそも、新聞社の使命は何か。
「報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき、重要な判断の資料を提供し、国民の「知る権利」に奉仕するものである。」(博多駅事件。最高裁昭和44年11月26日大法廷決定)
この根っ子を、肝に銘じなければならない。
権力は常に腐敗する。
腐敗する権力を監視し、警鐘を鳴らすのが、新聞社の使命である。
「表現の自由」(憲法21条1項)が最大限の保障を受ける最も重要な理由は、「立憲民主政(国民が政治的意思決定に関与する)と密接不可分の関係にある」からに他ならない。
ブログ等により一般国民が情報の送り手となる事が一定範囲で可能となった現在と雖も、「政治」に関する「情報入手」は、マスコミの力を借りずには、ほぼ不可能である。
日本においては、他国に類を見ない、日本特有の「記者クラブ」慣行がある。
これにより、大手マスコミは、特権的・独占的に情報を入手している。
大手マスコミは、自らがこの特権的地位を享受している存在である事を、忘れてはならない。
(記者クラブとは、首相官邸、省庁、地方自治体、警察等に設置された記者室を取材拠点としている、特定の報道機関の記者らが集まった取材組織の事を言う。記者クラブ会員のみが、独占的に情報を入手できる特権を得ている。)
「記者クラブ」は、被取材者と取材者との間に馴れ合いを生じ、癒着が生じやすい。
これでは、権力を監視するという新聞社に課せられた使命が全うできず、政府発表の無批判報道や、官庁情報を早く取ってくるだけが仕事になりかねない危険を孕む。
勿論、記者クラブ・メンバーといえど、気骨のある記者は少なくない。
例えば、ある首相番記者(北海道新聞記者)は、麻生首相に対し、突っ込み質問をしている。 アッパレと言いたい!
今回、植草氏がブログに引用・転載した記事は、国民に知らせるべき、「麻生首相の言動」事実について、上記記者がぶら下がり中に、首相に突っ込み取材したやり取りを中心とするものであり、また、公人たる首相の訪れたホテル・レストラン名、回数といった客観的事実も記載されていた。毎日新聞記者も首相の動きを丹念に伝えている。こちらにも、気骨ある記者らがいるに違いない。
権力に対して、新聞社のとるべき姿勢とは、どういうものか。
この「事の本質」を捉えていれば、そもそも、著作権だ何だと難癖つける話ではない。
それどころか、当の気骨ある首相番記者らは、無修正での好意的な引用・転載を、評価してくれているのではないかとさえ思う。
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ついでなので、著作権法についても、軽~く、述べておく。
「著作物」とは、そもそも、「思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。」(法第2条1号)
「思想又は感情を創作的に表現」とあるので、新聞記事の場合、その全てが、「著作物」として著作権法の保護を受けているわけではない。
小説、音楽、舞踊、絵画、写真といった創作的表現は、「著作物」を例示した10条1項の具体的例示として挙げられているが、新聞記事は、具体的例示として挙げられてはいない。
「著作物か否か」の判断は容易に思えるかもしれないが、そうでもない。
これに関連し、読売新聞社の「著作物」主張が、東京地裁、知財高裁の両方で、否定された重要判例がある(「記事見出し事件」)。
「著作物か否か」といった単純そうな論点一つとっても、新聞社の主張が失当である(正しくない)、と司法判断された事実が存在する。この事は、しっかりと記憶しておきたい。
(東京地判平成17年3月24日)
(知財高判平成17年10月6日)。
デジタルアライアンス社は、「業界の巨人」相手によく闘った。
http://linetopics.d-a.co.jp/linetopics/main/kenkai2.htm
しかし、同時に、次の指摘もしておきたい。
近年、関連団体からの著作権保護強化主張の高まりを反映してか、「著作物」(著作権法第10条1項)概念の解釈については、拡大方向での下級審判決が積み重ねられている。
そして、著作権法の保護対象とならないとされる「事実の伝達に過ぎない雑報及び時事の報道」(法10条2項)については、極めて縮小的に解釈されているのが現状である(例えば日経新聞事件。東京地判平成6年2月18日)。
著作権保護強化それ自体が悪いわけではない。
しかし、わが国著作権法は、頻繁に改正されてはいるが、骨格が古く、著作権の権利制限に関し、「個別列挙方式」を採用しているため(法第30条乃至第50条)、インターネット社会に対応できていない。
この状況下で、著作権保護のみに力を注ぐとバランスが崩れ、「公正な利用(フェア・ユース)」として許されるべき行為が、形式的に違法とされかねない事態を招く。
この点、2008年10月29日、政府・知的財産戦略本部のデジタル・ネット時代における知財制度専門調査会は、「公正目的であれば著作物の利用許諾を不要」とする「日本版フェア・ユース規定」(一般的権利制限条項)を導入する方針を提言した。
(「フェア・ユース規定」とは、著作権侵害に対する抗弁の一つ。著作権者に無断で著作物を利用しても、その利用が「フェア・ユース(公正な利用)」に該当すれば、著作権侵害にならないとされる一般的権利制限条項である。アメリカなどで採用されている。
いかなる場合に「フェア・ユース(公正な利用)」に該当するかは、判断指針としては、①当該使用の目的及び性質、②当該著作物の性質、③使用された部分の量及び本質性、④当該著作物の潜在的市場又は価値に対する当該使用の影響などが、あげられる。)
この法理については、最終的には、個々のケースについて裁判所が総合判断することになるため、予見可能性に問題があり、紛争の訴訟化を招きやすいとの批判もないではない。
しかし、植草氏の場合に当てはめて考えるに、①商業的利用ではない(商業的利用でも、フェアと判断される事例は多い)。政治・経済評論である。植草氏はこれにより経済的利益を得ていないこと、②利用した表現物が、ネットでも公表されている新聞記事であり、その内容は、公人たる首相言動であったこと。国民の知る権利との関係で、むしろ、その情報流通が奨励される方向性を持つ、③当日の新聞記事全部をごっそり転載しているわけではない。あくまでも、首相批判に必要な首相言動部分の記事のみを利用していること、④植草氏の新聞記事利用により、毎日新聞社は損失を蒙っていないこと、が指摘できる。
以上から、「フェア・ユース規定」があれば、植草氏に対する今回の毎日新聞社のクレームは、フェア・ユース抗弁により一刀両断にされていたと考える。
なお、「フェア・ユース規定」導入までの過渡期である今日、判例においても、形式的解釈をすれば違法と判断されてもおかしくない事例において、著作物の「公正な利用」と判断される場合、(1)「複製」文言の解釈を工夫したり(「書と照明器具カタログ事件」 東京高判平成14年2月18日)、(2)「権利制限規定」を柔軟に解釈したり(「市バス車体絵画事件」 東京地裁平成13年7月25日)して、結果の妥当性を図っている(後記する*1)。
これらはいずれも、著作者の許可がないばかりか、植草氏の記事利用と異なり、著作者表示さえもなされずに、著作物が利用された事件である。更に、植草氏ブログの場合と異なり、著作物が「商業的利用」されたケースでもあった。
「過渡期における現行法の解釈方向としては、「著作物」(法第10条)概念の歯止めなき拡大解釈は控え、また、権利制限規定(法第32条)は柔軟に解釈するなどに留意すべきである。また、事案によっては、権利濫用法理(民法1条3項)等の一般条項の活用も考え、妥当な結論を導くべきである。」
以上を踏まえ、植草氏の新聞記事利用について、検討する。
1 当該新聞記事の著作物性(法第2条、第10条等)
私見では、著作物性を否定するべき単なる事実伝達と考えるが、ここでは仮に、引用・転載した記事が「著作物」であったと仮定して、次を検討する。
2 権利制限規定(許される利用)
「公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。」(法第32条1項)
リーディングケースであるパロディ事件最高裁判決(最判昭和55年3月28日)判決によると、引用が許される要件は、次の通り。
A 「公表」された著作物である事(32条1項)
B 引用目的上、正当な範囲内である事(32条1項)
C 出所(引用元)を明示している事(48条1項)
D 自分の著作部分と、明瞭に区分されている事(パロディー事件最高裁判決)、
E 主従関係。自分の意見部分の方が、主である事(パロディー事件最高裁判決)、
F 著作者人格権侵害態様の引用は許されない事(パロディ事件最高裁判決)、
G 同一性保持権を侵害する改変は同意なき限り許されない(20条1項)
植草氏ブログの場合、
Aは、新聞及びネット公表済み記事ゆえ、問題なし。
Bは、「「逃げ回る」醜態を晒す麻生首相」と題し、首相の政治姿勢批判等を書き、その一環として当該記事を引用・転載。自論を補強したのであって、無関係の記事を転載したわけではない。
したがって、十分な関連性、必然性を有し、「目的上正当な範囲内」と考える。
Cは、「毎日新聞2008年10月23日東京朝刊」と出所記載明示があり、問題なし。
Dは、「転載する」で始まり、「ここまで転載」と終了。区分明瞭ゆえ、問題なし。
Eは、藤田画伯絵画複製事件が著名(東京高判昭和60年10月17日)。詳細省略するが、植草氏意見部分の方が分量(行数)も多く、記事部分は付従的に過ぎない。
したがって、「主従関係要件」も満たす。
Fは、人格権侵害が問題となっていないので、問題なし(パロディ事件は、モンタージュ写真事件ゆえ、F要件が問題となったに過ぎない)。
Gは、記事の改変は全くしていないので、問題なし。
以上から、本件は、上記ABCDEFG全ての要件を満たしており、植草氏の引用・転載は、著作権法上、何ら問題なかったと考える。
また、植草氏の行為が、同法113条所定の「著作権等侵害とみなす行為」のいずれにも該当しないことは言うまでもない。
なお、「一部引用は良いが、全文引用は駄目」の例として、東京地裁平成12年2月29日判決がある。これは、無断で、中田英寿選手の中学時代の文集の詩を全文掲載し、写真も含めて出版したケースで、今回の植草氏ブログの件とは全く異なる。
また、「正当な範囲内を逸脱した引用」の例として、東京地裁平成7年12月17日判決がある。これは、「最後の二ページのあとがき以外は、全て他人の著作物を集めただけの書籍」であり、今回の植草氏ブログの件とは全く異なる。
なお、植草氏の場合、新聞紙面をスキャナーで読み取って、ブログ上に再現したわけではない。文字情報を書いたに過ぎない。紙面のスキャナー読み取りであれば、記事配置、紙面づくりといった新聞社の創作的努力をそのまま利用する事になるため、著作権違反と認められ易くなる。しかし、植草氏のケースは、紙面配列は何ら関係していない。
法12条関係については、紙面配列等の創作性を理由に新聞の編集著作権侵害主張が認められたケースがある(ウォール・ストリート・ジャーナル事件。最判平成7年6月18日)。
これは、ウォール・ストリート・ジャーナル新聞のほとんど全ての記事が、無断で和訳、紙面割付順序もほとんど一致した配列に作成され、頒布された事案であり、今回の植草氏のケースとは全く異なる。
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/905AD229B693D05449256A7600272B76.pdf
以上から、植草氏の行為は著作権法違反に該当しないと考える。
(*1)
(1)の判例
室内照明器具カタログに採録された部屋の写真中、床の間かけ軸の著名な書家の書が写されていた事案。書の「複製」が問題となった。
判例は、「複製」(法第2条1項15号)文言につき、形式的判断を避け、厳格かつ柔軟な解釈により、当該行為は、「複製」に該当しないと判断した。
(「書と照明器具カタログ事件」 東京高判平成14年2月18日)。
(2)の判例
画家が車体に絵画を描いた市バスの写真が、幼児向け書籍に掲載され、販売された事案。当該行為が、法第46条によって許された「著作物の利用」に該当するかが問題となった。
判例は、公開の美術著作物の利用に関する権利制限規定(法第46条)を、極めて柔軟に解釈し、形式的判断を避けて、これを許された利用行為と判断した。
(「市バス車体絵画事件」 東京地裁平成13年7月25日)。
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3 著作権法の解釈については、ご自分の責任と判断で行ってください。
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(その2に続く)
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