市場原理主義者の総括が変革への第一歩
日比谷の「年越し派遣村」では、来村者がキャパシティーを超え、厚生労働省がようやく重い腰を上げて、厚生労働省の講堂を宿泊所として解放した。しかし、1月5日の午前9時までに退去しなければならず、派遣村の要請に基づき民主党の菅直人代表代行が舛添厚労相などと折衝し、中央区の廃校となった小学校を宿泊施設として使用できる見通しがついた。しかし、収容できる人員が小さく、派遣村では厚生労働省に追加施設提供を要請している。
「カナダde日本語」の美爾依さんが関連情報を網羅して提供くださっている。「ブログ版ヘンリー・オーツの独り言」主宰者のヘンリーさんがボランティアとして派遣村で活躍された。その模様を紹介してくださっている。
経済政策の究極の課題は完全雇用の実現だ。「生き抜く力」様が「労働は命そのもの」との記事を掲載されたが、自分の体だけが財産である多くの国民にとって、雇用は命そのものである。
物価の安定、成長の確保、完全雇用の実現、が経済政策の主要な課題だが、もっとも重要なのが「完全雇用の実現」だ。人は働くことによって生活の糧(かて)を得る。政府は経済状況を見極めて完全雇用が維持されるように経済を運営しなければならない。
経済が変動して完全雇用が維持されない局面が生まれる。そのときの調整を誰が担うのかが問題になる。企業に雇用を維持する責任を負わせるか、企業に雇用維持の責任を負わせない代わりに政府が労働者の生活を保障するか、のいずれかが選択されなければならない。
1990年代以降、企業を取り巻く環境が激変した。冷戦の終焉(しゅうえん)とITの急激な進歩である。中国が世界の工業生産の拠点として登場した。主要国の企業は労働コストを削減することを迫られた。
BPR(ビジネスプロセスリエンジニアリング)と呼ばれる企業行動は、ビジネスプロセスを根本的に組み替えて、生産方式を全面的に変更するものだった。その最大の目的は労働コストの削減だった。ITはこれまでの事務労働者の仕事を代替するものだった。18世紀の英国では「機械」の発明により、「家内制手工業」の職人が職を失った。職人は「工場労働者」に転化した。
ITの進歩により、多くの事務労働者が職を失った。企業は労働コストの高い事務労働正規雇用労働者を削減して非正規雇用労働者を増大させようとした。「資本の論理」を代弁する「市場原理主義者」が、労働市場の規制緩和を推進した。
「市場原理主義者」の特徴は、「資本の利益増大」だけを追求し、「労働者」の分配所得減少、労働者の身分の不安定化にまったく配慮しなかったことだ。「資本」が利益追求に走る場合、「資本」は「労働」を機械部品として取り扱う。
企業は派遣労働者の労働コストを「人件費」ではなく「物件費」として計上する。不況が波及して生産水準を切り下げるとき、企業は労働者の生活への影響を一顧(いっこ)だにせず、突然の「雇い止め」通告を冷酷に発する。
企業を取り巻く競争条件の急変に対応して、企業の雇用人員調整の要請に応じるための制度変更を実施するのであれば、同時に労働者の生活を保障する施策を新たに設けることが不可欠だった。
「市場原理主義者」は労働者の生活を安定化させる施策整備を主張しなかった。市場原理主義者は「資本の手先」としての行動を貫いて現在に至っている。この期(ご)に及んで「法人税減税」を唱える人物に、意見を求める理由は存在しない。
1998年から2006年にかけての分配所得の推移を検証すると、雇用者の所得が減少した一方で、大企業収益、役員報酬、株主配当が倍増した。企業は存続の限界線を歩んだのではなく、史上空前の最高益を謳歌(おうか)したのだ。
結局、労働市場の規制緩和は、「労働」の犠牲のうえの「資本」の利益増大をもたらしただけだった。派遣労働の拡大を中心とする非正規雇用労働の急激な拡大は、労働者のなかの低所得労働者の比率を急激に増大させた。しかも、派遣労働者を中心とする非正規雇用労働者に対する各種社会保険による保障整備は、完全に考慮の外に置かれた。
繰り返しになるが、「同一労働・同一賃金」の基本ルールを早急に構築する必要がある。同時に、雇用を失う労働者に対する保障制度を確立する必要がある。派遣労働者、正社員、役員の所得に天文学的な格差がつく合理的な根拠は存在しない。企業経営に対する影響力の大小をよりどころに、労働者が資本家に搾取(さくしゅ)されているだけだ。
日本の法人税負担は実効税率で比較して、諸外国に比べて突出して高いものではない。法人税が高いと主張して海外に移転するなら、そのような企業は海外に移転すればよい。そのような企業の製品を日本国民はボイコットすることになるだろう。
政府の経済財政諮問会議には4名の民間議員が参加している。橋本政権が諮問会議を発足したときから、民間議員の構成は2名の財界人と2名の御用学者である。これらの「資本」と「財政当局」の利害を代表する「御用人」と「御用学者」がさまざまな制度改革を主導してきた。
彼らは「資本の論理」を国の制度に反映することに注力した。その結果、労働市場の規制緩和が強行され、日本社会が変質した。「格差社会」、「労働者の生存権危機」は、「御用学者」と「資本家」によって導入された制度によって生まれたのである。
経済財政諮問会議の民間議員に「消費者」と「労働者」の意向を反映する人物を登用する必要がある。
小泉政権以降の自公政権は「市場原理主義」=「新自由主義」を表看板に掲げて、
①「弱肉強食奨励」=「大企業の利益」
②「官僚利権死守」=「特権官僚の利益」
③「対米隷属外交」=「外国(資本)の利益」
を追求してきた。麻生政権もこの路線を踏襲(とうしゅう)している。
2009年は政権交代を実現して、
①「セーフティネット再構築」=「国民の利益」
②「官僚利権根絶」=「国民の利益」
③「自主独立外交」=「国民の利益」
を追求する路線に基本方針を転換しなければならない。
「市場原理主義者」が「大資本(業)」、「特権官僚(官)」、「外国資本(外)」の利益だけを追求してきたことを明確に認識しなければならない。「市場原理主義者」は企業を取り巻く環境変化の機に乗じて、「労働」に犠牲を強いる「資本の論理」を日本社会に強引に植え付けた。「市場原理主義者」を総括することが、新しい時代に踏み出す第一歩になる。
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