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2008年6月24日 (火)

人間尊重の政策VS人間性破壊の政策

BLOG版「ヘンリー・オーツの独り言」」様、過分なご紹介と素晴らしい分析をありがとうございました。大変勉強になりました。「カナダde日本語」の美爾依さんもいつも本当にありがとうございます。「神州の泉」主宰者の高橋博彦様、kobaちゃんの徒然なるままに」様「ミクロネシアの小さな島・ヤップより」様、貴重なご高見をいつも参考にさせていただいています。

ブログの初心者で知らないことばかりなのですが、素晴らしいブロガーの皆様のご意見を読ませていただき、とても意義深い勉強をさせていただいています。ネット上の有益な情報が広く世の中に行き渡ることを願ってやみません。今後ともよろしくお願いいたします。

  

これまで政治の対立軸についての私見を提示してきているが、ヘンリー・オーツさんが貴重なご指摘を示してくださったので、「市場原理至上主義VS弱者保護」の対立軸について、改めて考えてみたいと思う。

  

ヘンリー・オーツさんは以下のように指摘された。

「『「市場原理至上主義」対「弱者保護重視」』だと「頑張った人が報われる社会を目指す」ことのどこが悪いかというような反論を述べる人間が必ず出てくる。それに対して私は表現を次のように変えてみた。「市場原理至上主義」を「資本家放任主義」、「弱者保護重視」を「国民の幸福追求と生存権の重視」とした。「弱者」という言葉は私は適切ではないと思う。なぜなら多くの経験と才能ある人がその能力を発揮する機会がなく、低賃金での奴隷労働に従事している事実があるからだ。「強者」に行きすぎた権利が与えられたが故に「弱者」が生まれてしまっているのです。また「官僚利権温存」されたが故に「弱者」への福祉切りすてが起きているのです。」

 

ヘンリー・オーツさんはこう指摘をされた後で、このことをとても分かりやすく図解してくれている。この図解を大いに活用させていただきたく思う。

 

既成の政治権力は、権力を維持するために、再び壮大な三文芝居を演じ始めている。「上げ潮派」対「財政再建派」の闘いで、「上げ潮派」は「官僚利権打破」を装い、「財政再建派」には「官僚利権擁護」を装わせている。

 

小泉元首相-竹中平蔵氏-中川秀直氏-飯島勲氏-財界の影がつきまとう「脱藩官僚の会」が「上げ潮派」と合流し、「正義の味方」=「改革勢力」を演じ、悪役の「官僚利権温存勢力」=「守旧派勢力」=「抵抗勢力」を打倒して国民の支持を取り付けようとの思惑がぷんぷん漂ってくる。

   

フジテレビ月9ドラマ「CHANGE」のタイトルと「脱藩官僚の会」の設立趣意書にある「CHANGE」のコピーが同一であるのは偶然とは考えられない。ドラマ「CHANGE」では、飯島勲氏の監修者としてのクレジットが番組のエンドロールに表示され、渡辺喜美行革相の秘書田中良幸氏が政治指導を担当していることも表示されている。

  

官僚利権根絶政策の「偽装」がかなり大がかりに仕組まれていると考えられる。洞爺湖サミットが終了すると、次期総選挙に向けて、自民党が大きく動き出すのだろう。2005年7月から9月にかけては「郵政民営化」=「正義」、「反対」=「悪」の図式が作られ、「刺客選挙」が政治ドラマに仕立てられて、多くの国民が流されてしまった。

  

  

ところが、「障害者自立支援法」、「後期高齢者医療制度」、「消えた年金記録」、「イラク戦争支援」、「ガソリン増税」などの現実から、小泉政権が国民を幸福にする政権でないことに国民はようやく気付いた。

  

小泉政権の路線を引き継ぐ安倍政権、福田政権の下で行われた国政選挙で、有権者は政権に対してはっきりと「NO」の意思を表示するようになった。その表れが参議院での与野党逆転で、国権の最高機関である国会の一翼を担う参議院の過半数を野党が確保した事実は圧倒的に重い。

  

   

それでも、2005年9月の総選挙で与党に3分の2以上の議席を付与してしまった後遺症はあまりにも大きい。野党が「天下り反対」という正当性のある理由で同意しなかった日銀人事について、小沢一郎民主党代表に対して「そういうのを権力の濫用って言うんですよ」と激昂した福田首相は、日本国憲法第59条の規定を利用して、参議院の決定を衆議院の数の力で3度も踏みにじった。直近の民意は参議院の議員構成に反映されているのであり、福田首相の行為こそ「権力の濫用」に他ならない。

   

自民党政権と官僚主権構造とは表裏一体をなしている。官僚機構は国民の幸福などまったく考えていない。官僚利権の維持だけを考えている。政府与党は政策立案、決定を官僚機構に丸投げして、政治的利権の維持拡大に注力する。

   

利権支出を温存して、国民生活に直結する支出を切り捨てる。「裁量支出」を温存して「プログラム支出」を切り込むのだ。プログラム支出とは社会保障関係支出のように、制度によって政府支出が明確に定められる支出で、利権になりにくい。

  

「一般財源化」を正義の政策のように論評する傾向が強いが、大きな間違いだ。「一般財源」は使途自由の財源であり、「裁量支出」の財源になることを意味する。財政当局の権力の源泉は「予算配分権」にある。財政当局は「裁量支出の財源としての一般財源」を権力の源泉として最重要視するのだ。道路財源の「一般財源化」は「道路族議員から財務族議員への所得移転」を意味するのであって、「改革」とは程遠い代物である。

  

   

横道にそれるが、国家財政を「社会保障財政」と「一般財政」に区分して、財務省の所管を「一般財政」に限定すべきである。政府支出はできるだけプログラム化することが望ましく、「社会保障財政」は財務省から切り離してプログラムで運営されるように制度変更すべきである。

  

日本に26,000も存在すると言われる公益法人のなかの4700機関に天下りが実行され、26,000人もの官僚が天下っている。天下り機関への政府支出は12兆円を突破している。天下り機関と国は随意契約を結び、国民が提供した血税が天下り官僚の破格の人件費、退職金に充当されている。

   

   

官僚主権構造を50年以上にわたって培養してきた自民党政権が官僚利権を根絶することは不可能なのだ。小泉政権が官僚利権を温存したことは紛れもない事実である。政府系金融機関の天下りが最も分かりやすいリトマス試験紙だったが、小泉政権、安倍政権は天下りを死守した。

  

日銀人事が紛糾した唯一の原因は、福田政権が財務省の天下りを死守しようとしたことにある。自民党清和政策研究会が基盤を置く警察、検察の天下りが日本中を覆い尽くしているなかで、自民党政権が天下り根絶を実行できるはずはないのだ。

  

   

国民は「偽装」に気付かなければならない。2005年9月の失敗を繰り返してはならない。「上げ潮派」対「財政再建派」の対立偽装に「脱藩官僚の会」が参入して壮大な三文芝居が演じられる可能性があるが、真実を洞察する人々が、草の根から真実の情報を伝達してゆかなければならない。

  

ヘンリー・オーツさんの貴重な指摘に話を戻すと、「上げ潮派」、「財政再建派」、「脱藩官僚の会」のいずれもが、「市場原理至上主義」の主張に立脚していることが問題である。外交路線では、いずれのグループも「対米隷属」で足並みを揃えている。日本国民の幸福よりも米国資本の利益を優先している疑いが濃厚である。

   

「市場原理至上主義」は「弱肉強食」、「弱者切り捨て」、「金銭崇拝」と表裏一体を成している。ヘンリー・オーツさんは「資本家放任主義」と表現された。「弱者保護重視」を「国民の幸福追求と生存権重視」と言い換えられているが、正しい指摘だと思う。

  

    

言い方を変えると、「人間尊重の経済政策」と「人間性破壊の経済政策」ということでもあると思う。私は具体的な施策として、「労働法制の抜本改革」、「公教育の拡充」、「セーフティーネットの強化」を掲げている。「セーフティーネットの強化」は「生存権の尊重」と置き換えることができる。

  

拙著『知られざる真実-勾留地にて-』第一章第23節「切り捨てられる弱者」、第三章第3節「弱き者のためにある政治」に記述したが、政府が推進してきた「労働ビッグバン」や「再チャレンジ支援」は企業優遇の施策でしかない。「上げ潮派」の人々は企業の競争力、生産性を高めることを優先し、法人税減税の重要性を強調するが、労働者の幸福については考慮している痕跡さえ見当たらない。労働者、勤労者は利潤を生み出す道具、消耗品としか捉えられていないのではないかと思う。

  

市場原理だけに委ねれば、生存権さえ脅かされる結果を招来するのが「分配」問題の帰結である。国民の幸福を考えるうえで、最大の智慧が求められるのが、「分配」に関するルール設定、労働条件に関するルール設定なのだ。同一労働・同一賃金、労働者の幸福、人権を尊重するルールの設定が優先して検討されなければならない。

  

  

社会を構成するすべての成員が幸福に生きてゆける社会を目指すべきだと思う。新自由主義の立場に立つ人々は、結果における格差を容認する傾向が強いが、弱肉強食、金銭崇拝の思想は、必ず荒廃した社会状況を生み出すことになる。それでも、個人の思想の自由は保障されているから、どのような考えを持とうともその選択は個人に委ねられる。

  

総選挙に際しては、思想、哲学を明確に有権者に示したうえで、審判を仰ぐことが必要だ。私は人間尊重、公正な分配、生存権尊重の経済政策を望ましいと考える。

  

   

公教育の拡充も重要だ。公教育の人件費を抑制してゆけば、十分な教育が実現しないことは自明だ。教育は消費ではなく、将来への投資である。官僚利権への政府支出を切り詰めれば財源は十分に確保できる。

  

高等教育を受ける機会を拡充すべきだ。夢があり、意欲があり、適性のある若人に等しく高等教育を受ける機会を保証することは政府の大切な役割だと思う。

  

   

人はパンのみのために生きる存在ではない。「生きがい」こそ生きる証しである。すべての人が心の充足感をもって生きてゆける環境整備に国は力を注ぐべきだ。すべての人の人権、生存権を尊重することが求められる。

  

拙著にも引用させていただいたが、茨木尚子氏が発表された「障害者支援はどこに向かおうとしているのか」(『世界』2006年12月号)は次の言葉で締めくくられている。

  

「必要な支援を得て社会活動に参加する障害者たちが当たり前のように存在する社会なのか、お金がないために、家や施設に留まらざるを得ない障害者たちがそこから抜け出せない社会なのか。今その分岐点にわれわれは立っている。いやすでに一方の途に歩みを進めているのかもしれない。」

  

   

1981年の「国際障害者年行動計画」に記されているように、「ある社会がその構成員のいくらかの人々を閉め出すような場合、それは弱くもろい社会なのである」。社会の強さは社会を構成する最も弱い構成員がいかに強固に守られているかで測られるものだと思う。幸福は分かち合うもので、占有するものではない。

  

社会のあり方を選択できる最も重要で、唯一と言ってもよい機会が国政選挙である。偽装、プロパガンダ、デマゴギー、メディアコントロールの偽りを見抜いて、私たちは正しい選択を示さなければならない。そして、私たちが正しく選択できるように、政治家は国民の前に適正な選択肢を提示しなければならない。

   

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