2009年11月25日 (水)

政官業癒着を断つべき日本航空経営危機の処理

日本航空の経営危機問題処理が紛糾している。日本航空は同社がナショナルフラッグキャリアであることを理由に政府による救済を求めており、前原誠司国交相も大臣就任直後に政府による救済を示唆する発言を示し、その後、日本政策投資銀行が1000億円規模のつなぎ融資に応じるなどの対応が示されている。

日本航空は政官業の癒着構造を象徴する存在でもある。政権交代が実現したにもかかわらず、前原国交相が旧来の自公政権と同様の感覚で日本航空に対する安易な救済策を容認するなら、政権交代実現の意義が問われることになる。

自由主義経済のルールは、自由な経済活動を認める代わりに、結果に対する責任を自己が負うというものである。資本主義経済では、経済活動の中心に株式会社が置かれる。株式会社は一定のルールの枠のなかで自由な行動を行うことを認められているが、結果に対しては自己責任が求められる存在である。

資本主義経済のなかで労働を提供する労働者にも自由主義経済のルールは適用されるが、人間である労働者に対しては、生存権の視点や人間尊重の視点から、自己責任の一言で切り捨てる政策対応の問題点が指摘される。

とりわけ、小泉竹中政治が人間性無視、弱者切り捨ての冷酷な経済運営を推進し、社会全体に大きな混乱と問題を引き起こしたことから、自己責任一辺倒の政策には強い見直しを求める声が高まった。

こうした、人に対する施策と、企業に対する施策とを明確に区別しなければならない。

これまでの自公政権下の政治では、「大資本と政治権力の癒着」が大きな問題であった。鳩山新政権は、企業団体献金全面禁止の方針を明示し、「政治権力と大資本の癒着」を排除する方針を示している。

麻生政権の時代には、「大資本と政治権力の癒着」は維持されていたから、不透明な企業救済策がまかり通っていた。日本航空の経営危機問題は麻生政権時代から継続している問題であり、国交省内部には麻生政権の延長上の感覚で問題を処理しようとする姿勢が強く存在するように窺われる。

日本航空は無数に存在する株式会社のなかでも、「政」と「官」との結びつきが極めて強い企業である。日本航空グループのなかに、「政」も「官」も多くの利権を維持してきた点を見落とせない。

しかし、一般の企業は厳しい自由主義経済のルールのなかで苦闘しながら生きている。経営に失敗したときは、ルールに沿って法的整理に委ねられる。株主も責任を問われるが、出資した資金の範囲内での責任を問われる「有限責任」の大原則が設けられている。

企業として社会に存続することができるなら、責任ある当事者が責任を明確にしたうえで、企業の再建が図られる。経営者や出資者が経営責任、株主責任を問われるのは当然のことだ。また、融資銀行が融資責任を問われることも当然である。

資本主義経済の透明性を維持する上で、不透明な例外を設定することは有害以外のなにものでもない。前原国交相は大臣就任直後から日本航空救済の姿勢を示してきたが、法的整理を軸に検討するのが正しい対応である。

日本政策投資銀行は国営銀行であるが、民営化する方針が示されている。親方日の丸の感覚で、安易に国民資金を投入することは正当化されない。

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民間経済では失敗は失敗として責任を明確することが求められる。政治が介入して基本ルールを歪めることは排除されるべきであろう。

振り返ると、2003年5月にりそな銀行に対して不透明極まりない政策対応が示されて以来、政治が企業統治(コーポレートガバナンス)の基本を歪めるケースが頻繁に観察されるようになった。

りそな銀行のケースでは、政治の介入によって、りそな銀行の決算処理が人為的に歪められてりそな銀行が自己資本不足に人為的に追い込まれたと見られる。政府はりそな銀行の経営陣を排除したかったのだと思われる。

最終的にりそな銀行は自己資本不足と認定されたにもかかわらず、株主の責任は一切問われなかった。逆に政府は2兆円の税金を投入し、りそな銀行株主は株価が3倍以上にも上昇したことによって、国から巨大な利益を供与された。

経営陣が一掃され、政権近親者が新経営陣に送り込まれた。政治権力による銀行乗っ取りが行われたというのが実態であった。

金融庁によるUFJ狙い撃ち、金融検査忌避事件に連動してUFJ銀行は実質的に東京三菱銀行に吸収された。この過程でミサワホームが産業再生機構送りとされ、乗っ取りに直面した。

日本郵政では100%株主である政府、取締役人事の認可権を有する総務大臣の意向が日本郵政取締役に無視されるといった異常な事態も発生した。小泉竹中政治がもたらした企業統治(コーポレートガバナンス)の歪みは常軌を逸したものである。

前原国交相はJR西日本の会社ぐるみの問題隠蔽体質、事故調査委員会への不正な介入問題に対しても厳格な対応を示すべきだ。

日本航空問題の処理に際して、前原国交相は政治利権や政治と資本の癒着を断ち切り、透明性の高い普遍性のある問題解決を図るべきである。企業が立ち行かない場合に、法的整理を中心に位置付けるべきことはでは言うまでもない。

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2009年11月24日 (火)

偏向メディアを冷ややかに見始めた日本市民

悪徳ペンタゴンの広報部隊であるマスメディアは、必死に鳩山政権攻撃を続けている。

①沖縄普天間基地移設問題での鳩山政権の対応が日米関係を悪化させているとのプロパガンダが流布されている。

②「政治とカネ」の問題について、自民党の問題をまったく追及せずに、民主党の問題だけを針小棒大に取り上げる。

③景気二番底が到来することを喧伝(けんでん)し、鳩山政権の景気浮揚策が十分でないと批判する。

④一方で、2009年度の国債発行金額が50兆円を突破すること、2010年度当初予算での国債発行金額が44兆円以上になることを、財政規律喪失と批判する。

⑤金融機関に借金の返済猶予を促す「中小企業等金融円滑化法案」(モラトリアム法案)の採決を衆議院本会議で強行したことを、「横暴な国会運営」だと騒ぎ立てる。

⑥「事業仕分け」における蓮舫議員などの受け答えを、乱暴であるとバッシングする。

⑦鳩山政権が、子ども手当に所得制限を設けること、高速道路無料化の実施スピードを落とすこと、などを検討する考えを表明したことに対して、公約違反と批判する。

何から何まで批判の対象にしている。CIAと関係の深い「読売」、市場原理主義勢力と結託する「朝日」、政権交代が実現したことをもって「下野」と公言してはばからない「フジサンケイ」、小泉新報と化していた「日経」、公明党との関係が深い「毎日-TBS」など、民間マスメディアは足並みをそろえて鳩山政権攻撃を展開し続けている。

NHKも小泉政権時代に政治からの強い支配力を行使された。とりわけNHK政治部には、影山日出夫氏や島田敏男氏など、自民党に極度に偏向した人物が在籍し、政権交代後も更迭されないままの状態が維持されている。

日経新聞の田勢康弘氏も日経新聞の意向を反映して、反小沢一郎氏、反民主党の偏向した主張を展開し続けている。田勢氏以外の日経政治部記者は、足並みをそろえて低質な民主党攻撃の文章を新聞に掲載し続けている。

11月22日放送のテレビ朝日番組「サンデープロジェクト」では、田原総一朗氏が、いつものように事実をねじ曲げた偏向報道を展開した。

田原氏は、鳩山政権が総選挙の際に、沖縄の普天間基地を国外または県外に移設するとの公約を示したが、その実現が難しくなっており、明らかな公約違反だと繰り返し述べた。

鳩山首相が総選挙の際に、普天間基地をできれば県外、あるいは国外に移設したいとの考えを述べたことは事実だが、民主党がマニフェストに県外移設、海外移設を明確に示したという事実は存在しない。

自民党政権が米国との間で辺野古地区への移転で合意を成立させてしまったことを踏まえて、民主党はマニフェストに慎重な表現を用いたのだ。

マニフェストの表現は以下の通りである。

51.緊密で対等な日米関係を築く

○日本外交の基盤として緊密で対等な日米同盟関係をつくるため、主体的な 外交戦略を構築した上で、米国と役割を分担しながら日本の責任を積極的に果たす。

○米国との間で自由貿易協定(FTA)の交渉を促進し、貿易・投資の自由化を進める。その際、食の安全・安定供給、食料自給率の向上、国内農業・農村の振興などを損なうことは行わない。

○日米地位協定の改定を提起し、米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直しの方向で臨む。
(ここまで引用)

 普天間問題の決着が容易ではないことを吟味したうえで、マニフェストには慎重な表現が用いられたのである。

 田原総一朗氏はこんな基本的事実も押さえることなく発言を垂れ流している。政治番組の司会者としての基本中の基本の資質が欠落していると言わざるをえない。

 田原氏は、鳩山首相に対する国民の印象を低下させるためには手段を選ばない行動を展開しているのだと思われるが、このような姿勢を示す人物に番組を仕切らせるのは、放送法に反するものと言ってよいだろう。

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 マスメディアの鳩山政権批判への執念には強い驚きを感じざるをえない。

 小泉進次郎衆議院議員が国会で質問したことをメディアがほめちぎっていたが、わざわざテレビ番組が時間を割いて賞賛するような内容は皆無だった。この点について「カナダde日本語」の美爾依さんが、

「あまりにも稚拙すぎる小泉進次郎の国会質疑」

と題する記事を書かれたが、まったくその通りだと思う。

 日本の言論空間の主要部分を支配する低質マスメディアの根本的な改革が日本改革には不可欠だ。しかし、現実を見ると暗澹(あんたん)たる気持ちにならざるをえない。

 しかし、考えてみればこのような状況のなかで、日本の市民は政権交代の偉業を成就したのである。私は選挙期間に合わせるかのように身柄を拘束され、投票権まで奪われた。選挙直前のテレビ報道は、酒井法子氏報道に占拠された。

 酒井法子氏事件があったからといって、総選挙報道はいくらでも可能だったはずだ。マスメディアは酒井法子氏報道を大義名分にして、国民の選挙への関心が高まらないように、選挙報道を最小限に抑制したのだと思われる。

 私も懸命に選挙での投票を呼び掛けた。日本の市民はメディア・コントロールに対する耐性を強め始めているのだと思う。

 テレビメディアが懸命に鳩山政権に対するネガティブ・キャンペーンを展開しているが、鳩山政権の支持率は驚くほど低下していない。これは驚くべき事態である。

 政党支持率も民主党が40%程度であるのに対し、自民党は20%を大きく下回っている。内閣支持率については、早速「カナダde日本語」の美爾依さんや「晴天とら日和」様などが記事取り上げて下さっている。

 鳩山首相が「審議拒否をしてもらいたくない」と発言したのに対し、自民党国対委員長の川崎二郎氏は下品さを丸出しにして、「こんなばかな話があるか。首相としての見識を疑う」とわめき散らす。この映像が流れるたびに、自民党支持率が低下することに気付かないようでは、自民党の未来は薄暗い。

 安倍政権、福田政権、麻生政権の時代、自公は衆議院で多数を占めていたが、参議院では少数勢力だった。参議院の多数派勢力の意向を尊重するのが国民主権、国会重視の政治運営のはずだったが、自公政権は参議院の意思を無視して、衆議院での再可決を繰り返したのではなかったのか。

 そんな、つい最近の過去を忘れ去ったかのような発言を示して、国民が賛意を示してくれると思っているなら甘すぎる。

 マスメディアが偏向報道を繰り返すなかで、市民の政治を見る力が確実に強くなっているのだと思われる。政権交代実現からまだ2ヵ月しかたっていないのだから、すべてが一朝一夕に変わることはありえない。しかし、鳩山政権はぶれることなく、新しい時代を築き上げる方向に着実に動き始めていると言ってよいだろう。

 当面の最大の問題は、経済政策である。問題は麻生政権が日本財政を破壊し尽くしてしまったことだ。このなかで、2010年の景気回復を実現することが求められている。鳩山政権は財政破たんを回避しつつ、日本経済の回復を誘導せよと求められているのだ。

 マスメディアや自民党の要求は無責任を絵に描いたようなものだ。短期的には「確実な景気回復策の実行」と「財政の健全性回復」の二つを両立させる道はない。当たり前のことだ。それにもかかわらず、政治番組の司会者は、執拗に二つを両立させる行動を鳩山政権に要求する。

 『金利・為替・株価特報』097号の発行日が11月25日になる。ご購読者様にはご了承をお願い申し上げたい。この097号に、日本財政の置かれた現状を詳細に説明する。

 麻生政権は巨大な財政出動を実行した。それにもかかわらず、日本経済の先行き不安が残存するところに、問題の根の深さがある。「非常事態」が生まれているのだ。したがって、政策対応も「平時」の判断では間違いを起こす。「有事」であることを前提に、政策判断を下さねばならない。

 財務省は足元の財政悪化に狼狽(ろうばい)している。この狼狽が鳩山政権に感染している。事態は容易でなく、判断を誤れば打撃は極めて大きいだろう。

 最近、モノの値段が下がること自体が「悪い」ことのように評価する評価基準が人為的に流布され始めているように見える。「物価下落」を「悪」と位置づけ、日銀の超金融緩和政策に世論の流れを誘導しようとする財務省の策略が見え見えである。これで問題が解決する可能性はゼロだ。正当な論議を起こさねばならない。まずは、『金利・為替・株価特報』に重要な論考を掲載するので、ご高覧賜りたい。

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2009年11月22日 (日)

「赤字横ばい」と「大不況」の間での二者択一

鳩山政権で国家戦略室担当相と経済財政担当相を兼務する管直人副総理が「デフレ宣言」を発表したことについて、私は昨日、本ブログに、

「亡国経済政策への誘導灯になる「デフレ宣言」」

と題する記事を掲載した。

 そのなかで、拙著『知られざる真実-勾留地にて-』

 

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に、「デフレ」なる言葉が用いられるようになった経緯について記述したことを紹介した。

 以下に、拙著『知られざる真実-勾留地にて-』から、該当部分を引用する。「デフレ」という用語が用いられるようになった経緯を記述した個所は、

第一章「偽装」
第29節「言論封殺のメディア・コントロール」

で、私はメディア・コントロールに関する諸問題のなかから三つの事例を例示した。メディア・コントロール問題に関する詳論は第二章で記述しており、そのなかで「NHK問題」についても詳述した。

「NHK問題」とはNHKが政治権力に支配されてしまってきた現実を指す言葉だが、その背景、経緯、実態について記述した。第一章では、「メディア・コントロール」の問題を紹介する「さわり」として、

①「デフレ」という言葉がなぜ用いられたのか

②「NHK日曜討論」や民放番組制作における放送局と政治権力との癒着

③現職閣僚であった竹中平蔵氏による放送局への圧力

を例示して説明した。

以下は、「デフレ」という用語が用いられたことに関する第一章における記述の引用である。

「「メディアーコントロール」については第二章で詳論する。「NHK問題」も重大なテーマだ。三つの事例を示す。2002年ころから「デフレ」という用語が頻繁に聞かれるようになった。「デフレ」とは、不況、資産価格下落、金融不安を総称する表現だ。一般物価は下落していたが、当時の実情は「大不況」か「金融危機」だった。用語の発信源は政府=財務省だったと思う。

「デフレ」の第一義はデフレーション=物価下落だ。物価に責任を負うのは日銀だ。病名が「デフレ」=物価下落なら担当医は日銀で、発病の責任も治療の責任も日銀が負うべきとなる。大不況発生の真犯人は政府=財務省だ。「デフレ」という用語を流布して日銀に責任を転嫁したのだ。深謀遠慮の下に「デフレ」が流布されたと思う。

「デフレ」の流布に尽力したのはNHKだ。ニュースで「デフレ」を繰り返した。国民は「デフレ」だと思うようになった。二冊の本が発売された。幸田真音著『日本国債』(講談社、2000年)とリチャード・ヴェルナー著『円の支配者』(草思社、2001年)だ。前者は日本財政が危機的状況だと訴える経済小説、後者は経済危機を生み出した主犯が日本銀行だと主張する経済書だ。テレビの報道番組でコメンテーターが宣伝した。メディア・コントロールの一環だ。

 財務省が世論操作にあらゆる方法を用いることを私は熟知している。本の宣伝広告も常套手段だ。リチャード・ヴェルナー氏は短期金融市場の日銀資金(=ベース・マネー)と経済・金融変動との因果関係を重視し、日銀の資金供給収縮がデフレの原因だと主張した。この見解は量的金融緩和解除後の経済安定によって否定された。彼らは量的金融緩和を解除すれば株価が大幅下落すると主張した。事実が主張を否定した。

NHKは「デフレ」をタイトルに冠する特別番組を何度も放送した。サブリミナル効果を狙ったとも言える。」(引用ここまで)

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今後、「「デフレは物価下落だから、政策対応は日本銀行が取るべきである」、「日銀は「ゼロ金利政策」を復活させ、さらに「量的金融緩和政策」を行うべきである」との主張が浮上することは明白だ。

しかし、日銀の政策で対応できる余地は小さい。日銀は1999年2月にゼロ金利政策を採用した。その延長上で1999年秋に、自民党から量的金融緩和政策採用の圧力がかかった。

私は日銀の研究会で、

「量的金融緩和政策の政策的有効性は低いとの認識を示しつつ、政治的な圧力が強まるなら、その圧力を封じることを目的とするなら、量的金融緩和措置を採用することを検討しても構わないのではないか」

との考えを述べた。

日銀は1999年9月21日に、

「当面の金融政策運営に関する考え方」

と題する文章を発表して、量的金融緩和政策の政策有効性が低いとの日銀の公式見解を公表した。

 この場で理論的な説明を示すことは避けるが、民間に資金需要が存在しないなかで、日銀が短期金融市場で潤沢に資金を供給しても、民間で活用される資金が増加するわけではない。1日に1リットルしか水を飲まない人の傍(かたわら)に、数百トンのペットボトルの山を築いても意味がないのと同じだ。

 日銀は2000年8月にゼロ金利政策を解除した。私は日銀による金利引き上げ政策が時期尚早であると強く反対意見を述べた。当時の圧倒的少数派であった。利上げを最も強く主張したのは竹中平蔵氏などであった。

 日銀のゼロ金利政策解除を契機に、日本経済は急激に悪化した。結局、日銀は2001年3月にゼロ金利政策に復帰した。速水総裁が政策運営を誤ったために、日銀は2001年3月にセロ金利政策復帰と同時に量的金融緩和政策実施に追い込まれた。

 2000年に金利引き上げを主張した竹中平蔵氏は、2001年4月に小泉政権で経済財政政策担当相に起用されると、手のひらを返して量的金融緩和政策推進者に変身した。以後、長く日銀のゼロ金利政策、量的金融緩和政策が維持された。

 福井俊彦前日本銀行総裁をはじめ、金融理論を熟知する専門家のほとんどは、量的金融政策が有効でないことを知っている。不況で超低金利の状況下では、金融政策は効果を発揮しえないのである。

 だが、量的金融緩和政策は、実行してもしなくても、大きな変化を生まない政策であるから、逆に言えば、実行することも可能な政策なのである。風邪をひいたときのおまじない程度の気休め効果はあるかも知れない。福井前総裁は、この認識の下で、政治的判断から量的金融緩和政策に付き合ったと言える。

 今回も、日銀が量的金融緩和政策に動くことになる可能性が高い。しかし、量的金融緩和政策で事態は変わらないことを十分に認識しておく必要がある。

 テレビの政治討論を聞くと、田原総一朗氏のように経済学の素養がまったくない人物が経済政策を論じるために、論議が空虚に空回りする。また、野党である自民党議員などは、「デフレ」に対応することが重要だと言いながら、財政赤字が拡大することは問題だといった主張を展開する。

 財政赤字が激増している現実を重く受け止めねばならないが、短期の経済政策においては、景気支援政策を発動することと、財政赤字拡大を阻止することとは、正反対を向く政策であるとの事実を押さえなければ話にならない。

 選択肢は、

「予算書上での財政収支悪化を回避するために大不況を受け入れる」

か、

「大不況を回避することを優先して、短期的な財政赤字膨張を受け入れる」

かの、いずれかしかないのだ。

 「景気をしっかり支えつつ、しかし、財政規律を失わない」

ことは、言葉の上でだけ成り立つことなのだ。

 「デフレ宣言」を発表して、日銀に政策対応を丸投げして、超緊縮財政政策を押し通そうとしているのが財務省の基本スタンスで、いまのところ、鳩山政権はこの政策路線の上に完全に乗せられている。

 政策の中味を「コンクリートから人」に変え、国民の懐を直接温める政策を重視することは正しい。しかし、全体の計数において超緊縮財政政策を強行すればまず間違いなく禍(わざわい)を招く。鳩山政権は政権公約に掲げた政策を前倒しで実行すればよい。予算規模の92兆円への圧縮、国債発行金額44兆円が超緊縮財政を意味することを認識する、現実に対する謙虚な観察眼を持たない人が経済財政政策運営の司令塔を務めることはあまりにも危険が大きすぎる。

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2009年11月21日 (土)

亡国経済政策への誘導灯になる「デフレ宣言」

鳩山政権の副総理兼国家戦略・経済財政担当大臣を務める管直人氏が11月20日の閣議後懇談会で、「日本経済はデフレ状況にある」との認識を示した。政府が「デフレ宣言」を発表したことになる。日本政府は2001年3月~06年6月までの5年以上の期間、「デフレ」を公式に認定していたが、日本経済がこの状況に舞い戻ったことになる。

日本経済の状況は極めて厳しい。戦後最悪の失業、経済苦自殺が続いている。米国で発生したサブプライム金融危機の余波が世界に広がった。内外株式市場で株価が暴落した。本年3月にはNYダウが6547ドル、日経平均株価が7086円まで暴落した。

米国も日本も経済政策を総動員した。米国では80兆円規模の景気対策が発動され、FRBはゼロ金利政策の採用に踏み切った。日本では麻生政権が14兆円規模の補正予算を編成し、日本銀行も超金融緩和政策を維持している。

内外政策当局の政策総動員により、株価は本年3月を転換点に反発した。問題の根源にある米国の住宅不動産価格も本年3月以降8月にかけて、5%程度の反発を示した。世界経済は最悪の状況を脱し、2010年に向けて緩やかな改善が続くとの楽観論も示され始めている。

しかしながら、問題の根はそれほど浅いものではないと考えられる。今回の金融危機は、通常の資産価格バブル崩壊に伴う金融混乱とはまったく異なる特性を有している。資産取得のために投入された融資資金が資産価格下落に連動して不良債権化したために混乱が生じているのではない。

不動産へのローンを原商品として膨大な規模のデリバティブ金融商品が創出されたことに伴って混乱が生じているのだ。デリバティブ金融商品の想定元本は600兆ドル=6京円規模に膨張したと見られている。本年3月から8月にかけて米国住宅不動産価格が小幅上昇したために、金融損失の拡大が一時的に停止しているが、不動産価格が再び下落すれば、巨大な金融損失が再び発生する可能性が高いのである。

内外経済ともに、2010年に大きな不安を残している。米国ではFRBが徹底した金融緩和を継続し、ドル下落傾向持続のなかで株価反発が続いているが、潜在的なドル不安のリスクは極めて大きい。

日本では2010年にかけて、鳩山政権が超緊縮財政政策を実行するリスクが次第に強まりつつある。最近観測される日本株価下落傾向は、この政策リスクを反映したものと考えられる。

このなかで鳩山政権が「デフレ宣言」を発した意味を考察しなければならない。結論から言えば、「デフレ宣言」公表を影で操作しているのは財務省であると考えられる。財務省主導の経済政策運営は、過去に重大な失敗を繰り返していることを忘れてならない。経済政策運営の失敗は鳩山政権の致命傷になりかねないことを認識する必要がある。

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に、「デフレ」という言葉が用いられてきた背景を記述した。

 2001年に「デフレ」という言葉が広く流布され、日本経済の困難が「デフレ」と命名された背景に政治が存在した。

 「デフレ」の第一義は「物価下落」である。しかし、当時の日本が直面していたのは「物価下落」だけではなかった。

 日本経済は、「大不況」、「金融不安」、「物価下落」に直面していたのだ。経済状況を現実に即して表現するなら、「大不況」、あるいは「恐慌」の方が適切であったと考えられる。

 それにもかかわらず、「デフレ」という用語が用いられた。この用語法を誘導したのは財務省である。「デフレ」の第一義は「物価下落」である。「物価」の所管官庁は日本銀行である。つまり、日本経済悪化の責任を負うべきは日本銀行であり、日本経済悪化に対して率先して政策対応を示すべき期間は日本銀行である、との主張を展開するために「デフレ」という言葉が用いられたのである。

 今回、鳩山政権が「デフレ宣言」を発表した。発表と同時に、日本銀行による政策対応を求める声が広がっている。これこそ、財務省の狙いとするところである。財政政策に負担をかけず、日銀の金融政策にプレッシャーをかけようとするのだ。

 しかし、この判断は間違っている。日本銀行は超金融緩和政策を継続するべきだが、日銀の追加政策発動の余地は小さい。量的金融緩和政策が過去に採用されたが、その政策効果は限定されたものである。

 2010年にかけての最大の懸念要因は、財政政策が日本経済に強烈なデフレインパクトを与える可能性が高まっている点にある。2009年度の補正後予算が102兆円規模、国債発行金額が51兆円になることを踏まえると、鳩山政権が編成を進めている2010年度当初予算の92兆円規模、44兆円の国債発行金額は2010年度の日本のGDPを1.5~2.0%ポイントも押し下げるものなのである。

 鳩山政権が経済政策運営を誤る可能性が生じている。財務省が政策運営を仕切り始めていることがその主因である。財務省は1997年度、2001年度と経済政策運営を誘導して、二度とも日本経済を崩壊に導いた。橋本政権はつぶれ、小泉政権も破たんすれすれの状況に追い込まれた。小泉政権が延命したのは、税金によるりそな銀行救済という禁断の金融行政に手を染めたからである。

 財務省は中期的に激しいインフレ誘導を狙っている。巨大な借金を帳消しにするには、インフレ誘導に勝る手法が存在しないからである。物価下落は国民の生活費負担を大幅に低下させている。デフレには個人の実質所得を増加させる側面があり、デフレを一概に悪と決め付けることは間違いである。

 いま、最優先で再検討が求められるのは、2010年度の超緊縮財政政策発動をこのまま容認するべきかどうかなのである。鳩山政権が財務省路線に乗せられて十分な政策論議を怠るなら、その代償は想像を超えるものにならざるをえない。鳩山政権は早急に経済政策立案の司令塔を確保しなければならない。

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2009年11月20日 (金)

木村佳苗氏事件で検察が警察に出頭する異様さ

FNN(フジネットワークニュース)は、

 

「うその結婚話を持ちかけ、男性から現金をだまし取ろうとした疑いで再逮捕された34歳の無職の女性がが20日午前、さいたま地方検察庁に送検された。」

 

と報道したが、同じ報道対象をANN(朝日ネットワーク)は次のように伝えた。

 

「結婚を口実に男性から金をだまし取ろうとした疑いで、34歳の女が20日午前、検察官が留置場に出向く異例の形式で送検されました。」

 不審死が相次いだ問題で結婚詐欺容疑により逮捕されている埼玉県の無職女性に関する報道である。

 

 この事件について、山崎行太郎氏は10月30日に、

「何故、本名「木嶋佳苗」と書かないのか?

 

と題する記事を書かれている。

 

 また、『カナダde日本語』の美爾依さんは、11月10日に、

 

「木嶋佳苗の取り扱いからしても、日本がまぎれもなく警察国家であるのがわかる」

 

と題する記事を書かれている。

 

 美爾依さんの記事には、『ふじふじのフィルター』様が紹介された

 

『中野龍三プロゲーマーWEBTV局別!

34歳結婚サギ女がなぜ実名報道されないのか、を聞いてみた」

 

を引用されている。

 

 これらの情報をもとに判断すると、警察当局が埼玉の結婚詐欺容疑者に関する報道に規制を加えていることが窺(うかが)われる。

 

 容疑者の氏名は「木嶋佳苗」氏であるらしい。

 

 しかし、マスメディアはまったく実名報道していない。さらに不可思議なのは、検察の取り調べが検察庁ではなく、警察署に検察官が出向いて行われたことだ。

 

 警察から検察に身柄が送られる際、被疑者は手錠、縄で捕捉されて送致される。被疑者の身柄が検察庁に送られるから「送検」と呼ぶのであり、検察官が警察に出頭するなら「出頭検」とでも呼ばねばならないのではないか。通常の「送検」は拷問のひとつに分類される措置と言ってよい。

 

 警察署から護送車に乗る際に、警察が報道のカメラを遮断することができるにもかかわらず、撮影が行える状況が作り出されている。また、護送車の内部を撮影することを回避するための遮蔽(しゃへい)措置を取ることは十分に可能であるが、警察はその対応をしていない。

 

 法務省管轄の拘置所の場合、裁判所などへの身柄の移動に際しては、護送車のカーテンなどを用いて完全な遮蔽措置が取られている。

 

 つまり、被疑者の人権が守られていないのは、単に取り調べに際してだけではなく、身柄の移動に際してのマスメディア取材に対しても同じなのである。

 

 死体遺棄容疑で逮捕されている市橋達也氏の取り調べに際して、違法な取り調べが行われているのではないかとの情報が報道されている。

 

「黙秘していると親が死刑になる」

 

「黙っているから姉のところに取材が行った」

 

「黙っていると極刑になるかも知れない」

 

などの発言が捜査官からあったとの指摘が市橋氏の弁護人から示されている。

 

 現段階での容疑は死体遺棄であり、「死刑になる」との発言があったとすれば、被疑事実から逸脱したものであると言わざるを得ない。

 

 私が巻き込まれた事件では検事が、「認めなければ報道などを通じて家族を徹底的に苦しめてやる」と発言した。検察官は大声でわめき散らし、無理やり自白を強要するものだった。ニュースを聞いて検察官の発言が思い返された。

 

 市橋氏の場合、警察署で護送車に乗る場面は報道各社のテレビカメラに収録された。木嶋佳苗氏も警察署から検察庁に送検されたならば、送検の模様がテレビカメラに収められたはずである。

 

 市橋氏も木嶋氏も現段階では被疑者である。被疑者に対する人権が守られなければ、適正な捜査は実現しない。また、「法の下の平等」は日本国憲法に定められている事項である。

 

 警察による、被疑者を確保する段階、検察庁への送致、勾留質問での裁判所への送致の段階での報道カメラからの遮蔽措置は、当然取られるべき対応である。

 

 日本の警察、検察が捜査における基本的人権の尊重を無視していることは、周知の事実である。だからこそ、取り調べの全面可視化の要請が提示されているのである。

 

 沖縄でのひき逃げ事件で、米兵が取り調べを拒否している理由として、弁護士の取り調べへの同席が認められていないことなどが示されている。日本国内で生じた事件に対して日本の当局が捜査権を持つべきことは当然であるが、その捜査当局の人権意識が低く、人権を擁護する制度が整備されていなければ、捜査拒否に対して強いよりどころを与えてしまうことになる。

 

 埼玉の結婚詐欺容疑者である木嶋佳苗氏は祖父が議会議員を長く務め、勲五等双光旭日章を受勲しており、故中川昭一議員の別海地区後援会会長を務めていたことがあると伝えられている。

 

 このようなことで、被疑者に対する取り扱いが当局だけでなく、マスメディアにおいても大きく異なるのだとすれば、この国の民主主義、法の下の平等など、存在しないに等しいと言わざるをえない。

 

 酒井法子氏の場合、留置は最新の設備が整っている湾岸署とされた。逮捕などに際してどこに勾留されるか、護送に際して単独であるかそうでないか。取り扱いは千差万別であるが、「法の下の平等」が確保されているとは到底言えない。

 

 結婚詐欺事件では、埼玉のケースを実名報道していないことと平仄(ひょうそく)を合わせて鳥取のケースも実名報道されていないが、他の事件との相違は際立っている。

 

 政権交代に伴う日本政治刷新の大きなテーマの一つに、警察・検察・裁判制度の刷新が含まれる。日本の諸制度は近代化されていない。「前近代」のまま放置されている部分が非常に大きい。

 

 ”Due Process of Law(=適法手続き)の精神も著しく希薄(きはく)である。

 

 この問題が重大問題として取り扱われないのは、一般の国民が刑事事件取り調べに直面する確率が極めて低いからである。通常の生活において、刑事事件取り調べに巻き込まれる確率は極めて小さい。

 

 しかし、問題は重大である。人間の尊厳、基本的人権が簡単に蹂躙(じゅうりん)されてしまうのだ。足利事件の再審では、取り調べ検察官の出頭を求め、録音テープもすべて法廷で公開するべきである。

 

 市橋氏の事件については、弁護団が取り調べ過程のすべての録画、録音を求めているが、これも当然の対応である。また、弁護団が提供した「取り調べノート」も極めて有用性が高い。

 

 犯罪を容認する考えは毛頭ないが、刑事取り調べ過程における不正、不当な取り調べは根絶されなければならない。警察・検察による犯罪や犯罪的行為に対しても国民は厳しい視線を向けなければならないのである。

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